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第二次世界大戦原因とは・・・アジア編

第二次世界大戦 4

第二次世界大戦の原因とは・・・・きつかけ・・・始まった理由とは・・・ アジア編


日本は第一次世界大戦の戦勝国として民主化と英米との協調外交とを指向していました。
しかし満洲および蒙古の支配権を巡り次第に対立するようになります。

日本は昭和金融恐慌以後の苦境からの脱出を満蒙開拓に求めました。
「満蒙は日本の生命線」などとし円ブロックを形成・拡大するために
大陸進出を推進しようとしました。
満州事変によって瞬く間に満洲および内蒙古東部を占領したことやその後の好景気によって、
政党政治よりも軍部の方が頼りになるという世論が支配的となりました。
また相次ぐ政治家の暗殺、軍部の暴走、
さらにそれを抑制できない政治権力の弱さによって政治そのものが軍事化していったのです。

満州事変そのものが、ヴェルサイユ体制の極東版ともいうべきワシントン体制に対する
異議申し立てであったと言える。
事変後、中国はいったんは日本と停戦協定を結ぶもののやがて抗日運動が起こり、
日中戦争後の日本は徐々に国際的に孤立していきます。

日本は当初、ヨーロッパ大戦に不介入の方針をとっていのですが地図
ドイツの快進撃に近衛文麿政権は「バスに乗り遅れるな」として三国軍事同盟を締結しました。

しかしこれに対しアメリカは極東と欧州の間という地理的不利[6]や当時は優勢であった
ドイツが終局後及ぼすであろう脅威から同盟を結んだ日本への態度を硬化し
米国内の日本資産の凍結と輸出を禁止し、東南アジア等の仏蘭英の植民地への
不当な資源要求の拒否といった包囲網の形成、中国蒋介石への2500万ドルの貸与といった支援、
更には巡洋艦による軍事作戦などを行い日本を挑発、ハル・ノートを呈示しました。

それを最後通牒とみなした日本の回答は真珠湾攻撃であった。
これをうけたルーズベルト大統領による演説「汚辱の日を忘れるな━━リメンバー・パールハーバー」
このフレーズは日本においても有名であるが、
先の大戦における失敗から孤立主義に傾倒していた国民感情は動き、
奇しくも米国も第二次世界大戦へと介入する運びとなった。

第二次世界大戦の原因は必ずしもひとつではありません。
日本の場合は、ヴェルサイユ会議において人種平等案を提議したものの拒否されたりもしました。

アメリカで日系移民が排斥されたりしたことに対する人種的な怒りも加わった事実

それがまた日本国内でアジアへの傾斜を支える思潮ともなっていたのであり、
「大東亜戦争」あるいは「聖戦」という呼称が受け入れられる素地ともなっていたのです。

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